JA湘南広報誌_6月号
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環境に優しい植物油インキを使用しています。akanagawagr.jp/shonan/https://wwwFAX0463947856(代表)〒2591142☎0463938111(代表)編集・発行/湘南農業協同組合神奈川県伊勢原市田中250番地編集責任者/根岸裕彰本紙は再生紙を使用しています。穴をあけてとじる場合は、この三角形を目安にご利用ください。l.676月号vo2025年6月5日.-----     .jひらしん平塚ひらしん平塚文化芸術ホール文化芸術ホール東海道東海道旧東海道旧東海道県道61号県道61号江戸見附【所 在 地】平塚市見附町1京方見附 【所 在 地】平塚市平塚4-33東海道の名残復元された石垣現存東海道にあった「見附」東海道をはじめとする主要な街道の宿場の出入り口には、「見附」と呼ばれる構造物が設置されていました。見附は本来、城下に入る門を示す「城門」のことで、人々を監視する見張り場の役目を持っていました。宿見附も、宿の出入り口を意味するのと同時に、防御施設として設置されていたことがうかがえます。一般的に見附は、東海道に対して直角に位置するように設けられ、土台部は石垣で固め、土盛りした頂上部には、「竹矢来」が組まれていました。平塚宿の見附1601年に徳川家康が東海道に宿駅・伝馬制度を定めてかJAグループ神奈川がお送りする農を伝える番組ら宿場町として栄えた「平塚宿」にも、江戸側の出入り口にあった「江戸見附」、京(上方)側にあった「京方見附」の2つの見附が設置され、現在は復元された石垣などが残っています。平塚宿の江戸見附は、長さ約3. 6 ㍍、幅 約 1. 5 ㍍、高 さ 約1. 6㍍の石垣を台形状に積んで頂部を土盛りするなどして設置されていました。宿場の西の入口だった京方見附は、空襲やその後の区画整理などにより、場所や大きさなどは定かではありませんが、言い伝えや歴史資料などにより、現在の場所(平塚市平塚4- 33 付近)にあったと推察されています。初代歌川広重によって描かれた東海道五十三次平塚宿の錦絵もこの付近からの眺めとされています。VOL.64VOL.49京方見附の石垣江戸見附について伝える看板▶▶平平塚塚宿宿のの江江戸戸見見附附6月は、別名「水無月」とも呼ばれます。京都府では、夏の暑さを乗り切ろうと、6月30日に水無月という外郎の上に小豆を乗せた和菓子を食べる風習があるそうです。何かの機会に、地域の風習を学んでみてはいかがでしょうか。(M.I)江戸見附江戸見附京方見附京方見附★6月29日放送祝 放送900回サンキュー! ベリー・ベジタブル〜伊勢原〜東 海 道 本 線東 海 道 本 線毎週日曜日9時〜9時30分(再放送)毎週月曜日10時〜10時30分SHONAN AGRICULTURAL COOPERATIVE湘湘南南紀紀行行編 集後記平平塚塚宿宿のの江江戸戸見見附附

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