JA湘南広報誌_2月号
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環境に優しい植物油インキを使用しています。akanagawagr.jp/shonan/https://www〒2591142☎0463938111(代表) FAX0463947856(代表)編集・発行/湘南農業協同組合神奈川県伊勢原市田中250番地編集責任者/根岸裕彰本紙は再生紙を使用しています。穴をあけてとじる場合は、この三角形を目安にご利用ください。l.632025年2月5日2月号vo.-----   .j相模川国道国道129号129号田村の渡場跡【所在地】平塚市田村7-30-3四之宮の渡し【所在地】平塚市四之宮4-20-37人々の渡河の歴史伝える相模川沿いの渡し「渡し」の歴史中世以前の日本では、架橋技術が未発達だったこともあり、河川を渡る際は、渡し船を使って移動していました。江戸幕府の時代には、諸国大名の反乱をけん制することを目的に、全国に関所を設置。各地の大きな河川でも架橋が禁止され、渡し船に乗り降りする渡し場を設置することで、江戸と地方の往来を制限していました。田村の渡し相模川でも橋の設置が禁止され、渡河は田村や近隣の馬入の渡しによって行われていました。「田村の渡し」は、中原街道と大山道の二つの往還の渡しでした。中原街道は中原村と江戸を結んだ脇往還で、大山道は江ノ島からの大山参詣のために使われました。渡し場がある田村は、両往還と平塚から厚木へ向かう八王子道が交差する場所で、旅籠屋などがあったことから、「田村の宿」とも呼ばれていました。渡船場の業務は、田村と対岸の一JAグループ神奈川がお送りする農を伝える番組之宮村・田端村(寒川町)の三カ所で行われ、現在は渡しがあったことを伝える石碑などが建っています。また、周辺からは大山や箱根、富士山を望むことができ、景勝地としても有名でした。四之宮の渡し「田村の渡し」があった場所から2㌔ほど南方向には、「四之宮の渡し」がありました。相模川の対岸に飛び地を持つ村々は、飛び地に開けた農地を耕作するため、独自の渡しを設け、そのうちの一つが四之宮の渡しであったとされています。徳川家康も江戸と中原御殿を往来した際に利用したと伝えられ、1955年ごろまで利用された後、廃止されました。VOL.60四之宮の渡しを伝える看板▶▶田田村村のの渡渡場場跡跡のの石石碑 碑 今月号は地元産の農畜産物を使ったスイーツを特集しました。取材をきっかけに、JA管内には私がまだ訪れたことがない素晴らしいお店がたくさんあるのだと実感しました。皆さまも今回紹介した3店舗を含め、改めて地元のお店を巡ってみてはいかがでしょうか。(H.K)田村の渡場跡田村の渡場跡四之宮の渡し四之宮の渡し毎週日曜日午前9時から9時30分(再放送)毎週月曜日午前10時から10時30分編集後記SHONAN AGRICULTURAL COOPERATIVE田田村村のの渡渡場場跡跡

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